エッセイ・NO.21 「令和6年 年賀状」(2024.1.1)

  
     まるい虹   山浦幹線道脇のレンゲ  野良のまま我が家で誕生の親子   夕焼け龍雲

  謹 賀 新 年2024(令和6)年 元旦

   「一枚は 蓑の下なり 千枚田」 そこまでの規模ではないけど、当地でも
 私が名水を汲みに行く道路沿いに棚田が広がり、谷間にも小川沿いに狭い田ん
 ぼが山際まで幾枚も並んでいました。苦労して開拓した田んぼを何百年も守って
 生活の糧を得てきた人々の姿と尊さを想像することができます。 「生きかはり
 死にかはりして 打つ田かな」(鬼城)と俳人はうたいました。

  しかし、その田んぼを耕す人がいなくなり、耕作放棄地はカヤやカズラやセイ
 タカアワダチソウに覆われ、わずか10年くらいで元の姿(原始的自然)に戻り
 つつあります。里山ガイドで都会の人達と歩きながら「ここには田んぼが沢山
 あった」と説明すると、第一印象で「自然がいっぱい、素晴らしい」と田舎の
 風景に感嘆の声を上げていた人も、やはり何か感じて考え込むようです。

  カヤやカズラに覆われ、人間が遠ざかった原始的自然を喜ぶのは鹿と猪く
 らい。里山の光景は人工的自然です。山の木、川・池の水、畑、田んぼなどを
 利用し、住いを定め、家を建て炭を焼き野菜や稲を作り、人間が生活の場に
 してきた里山の輝くような人工的自然の光景が急速に失われつつあります。

  過疎地だけでなく、都会も、更に云えば宗教も政治も、本来あるべき誠実な
 輝きを失ってきているのでは⁉と思う去年今年です。

 
皆様にとりまして、幸多き年でありますように。 御堂順暁

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